2017-10-16

谷穹 展 -器詩酒- Q Tani Solo Exhibition

谷穹 展 -器詩酒- Q Tani Solo Exhibition 2017.10.21(土)-10.29(日) 12:00-19:00 @wad+

ー器詩酒ー 個展期間中の全日17:00から 店内の灯りを蝋燭に変えて少しのお酒と墨と筆を使い 甕を見ながら遊びたいと思います。 詳細はスタッフまで。

言葉を生けてみるのはどうか? wad+の個展に向けて甕を一つ取り置いてあり、 それを思い浮かべて展覧会のノリを考えながら頭をよぎった。 そうこうしているうちに「詩酒」という言葉に出会った。 文字通り詩を作り酒を飲むことだが、私にはうってつけだ。 打ち合わせでそんな事を話していると、 幕越しに甕を置き、それを観ながら酒を呑み、 思いのまま筆をはしらせようとなった。

私のやきものには三つの方法がある。 一つはなにも考えず自分の内側と向き合う事。 二つめは内側と向き合いながらもノリを合わせて写す事。 三つめは完全コピーだ。 この甕は二つめの「写し」の仕事である。

写しとコピーは別々にとらえる必要がある。 コピーの仕事をする理由はそのものがつくられた時、 どういう作業をしていたかを探ることに集中できる。 すると技術の理由が解ってくるのだ。

ここで得るものは、振り幅、余力、伸びしろ(であると希望している)となり、 自分の内側と向き合い続ける事が出来る様な気がしている。 明るく言い換えると悩み続ける力ともいえるだろうか。

反して写しはそのものがつくられた時代のノリをさぐる。 「写し」た時にはその時代の空気が写ってくる事がとても大事だ。 常々舞台の演目の様でありたいと思っている。 これは一つ目の自分の内側と向き合う時に共通するところだが、 深いところに入り込んでいると「今」であることがにじんでくる。

壷の形が大まかに同じなのは、 少なくとも2万年は人の形が大きく変わっていないからだ。 壷とはつまりそういうものだ。 なにか取り付けたところで琴線に触れるものではない。

琴線に触れるというこの琴、人それぞれに違うのではなく 一つの同じものではないかと思っている。 この琴を奏でる事が出来ればどんなに素晴らしい事だろう。

詩酒と詠ったが詩を紡ぎだすというよりもその場の空気が線になれば良いと思っている #wad+#飲酒の冴え#墨の感触#幕越しの甕#そのまた幕越しの酔人#掌中の壷#近江の酒

思いがけないグルーヴィーな筆の走りに期待している 琴線は壷の内側にしまっておこう 「器詩酒」 谷穹

今年も信楽で作陶されている谷穹さんの個展を開催します。 7月某日谷穹さんの工房で作品を見ながら個展のお話をしていた際、 昨年よりも益々作品への取り組みへの深みが増しているように感じました。 表面的な部分だけではなくその奥にある本質や、内に秘めた何かを伝え手としては伝えたいと強く 思いました。やきものと人との接点の中に生まれるグルーウ感を今回は感じていただきたいと思います。

店主小林剛人

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